どんよりした雲のように気分を滅入らせているときに、ある考えに至り、急に晴れ間が広がるように気分が変わってしまうことがあります。
 不思議な瞬間ですねえ。
 状況も自分自身も何も変わっていないのに、考えが変わるだけでがらりと心が変わってしまうのですから。
 人は「考え」だけで心持ちをプラスにもマイナスにも変えることができる性質を持っています。
 できれば「プラス」に、つまり「ポジティブ」に心を変えていきたいものです。
 このように心をポジティブに変えていく考えを「ポジティブ変考」とよびます。このブログでは様々なタイプの「ポジティブ変考」について紹介していきたいと思っています。

2008年10月23日 (木)

災い転じて福となせ

 最近がっかりしたことがありましてね。半年ほど前から、ほぼ約束されていた昇進の人事が見送りになったのです。担当役員は強く推薦してくれたのですが、結果として人事にそう判断されたわけです。
 よくある話で取り立てて大騒ぎするほどでもないのですが、個人的にはショックは小さくなかったです。責任を負う仕事に不安はありましたが、大きなやりがいを期待していました。
 このようなときに効くポジティブ変考はどのようなものかいろいろ考えてみました。「自分を見失わうな」とか「大したことはない」とか。それなりに心は慰められるのですがどうもしっくりこない。
最も効果的なのは

「災い転じて福となせ」

でした。
 現状の喜ばしくない状況をきっかけにしてプラスに反動するのです。「今の辛さは明日への糧(7/1)」「トラブルは幸運の前兆(7/18)」と同様な将来転化変考の1つです。
 違いは「福となせ」の部分に”意志”の要素が含まれているところです。今回のことで言えば、昇進の人事が見送られたことで、多忙になるはずだったのが、時間的な余裕が出てくることになります。この時間をつかってかねてより懸案だった仕事に注力しようと思っています。
 それでも余裕があれば、仕事に関連する資格試験にもチャレンジしたい。そういう気持ちが失望感を徐々にやわらげつつあります。

2008年10月 9日 (木)

かかってきなさい

 お姫様を護衛して夜道を歩く若侍。突然、黒装束の敵十数名に囲まれてしまう絶対絶命。侍はお姫様をその広い背中に隠し、おもむろに刀を抜きます。そして眉ひとつ動かさずこう言うのです。

「かかってきなさい」

 しびれる瞬間ですねえ。男なら誰しもこうありたい。
 大勝負に向かうとき、人は誰しも不安を持ちます。 命を賭けた勝負でなくても、受験とか、スポーツの試合とか、告白の瞬間とか・・・・。不安や緊張はごく自然な心の動きであり、否定すべき感情ではありません。適度な不安があることで集中力が高まり、それが成功に導いてくれます。
 しかし不安が強すぎるのは心地よい状態ではありません。体や表情がこわばったり、心臓が高鳴ったり、ひどい場合は手足が震えたり・・・。 これを押し沈めるのが「かかってきなさい」です。
 この言葉は、現状がいかに差し迫った状態であっても、それを積極的に受け止めようという気持ちに誘導してくれます。受容変考の一つですが、同じ受容変考の「なるようになれ(7/3)」「別にいいじゃん(9/11)」とはニュアンスが違います。「なるようになれ」は諦念的受容変考、「別にいいじゃん」は譲歩的受容変考で、どちらかと言えば穏やかな気持ちにつながる変考です。これに対して「かかってきなさい」は現実を受け止めて勇んで戦おうという心構えで、闘争的受容変考といいます。
 数ある受容変考の中でも、もっとも強く、効果的なものです。何か大きな勝負のときにはこれが一番お勧めです。
 もっとも、結果は保証しません。それで負けたとしても、それは貴方の実力の問題で、変考方法が悪いわけではありません。悪しからず。
 

2008年9月29日 (月)

俺ってラッキー

 朝日スポーツ賞や植村直己冒険賞も受賞している世界的な登山家の山野井泰史さんが、熊に襲われたという出来事が最近ありました。自宅のある東京都奥多摩町原でジョギングしていたところを襲われ、重傷を負ったそうです(9/17)。
 熊になんか襲われたら普通は「俺は何て運が悪いんだ」と思うでしょうね。いくら山奥でも、熊に会うことなんてめったにないことでしょうから。しかし熊に襲われたら死んでもおかしくない。まったく逆の視点で捕らえることもできます。

「俺ってラッキー」

 これを基準降下変考といいます。考えの基準を「標準の状態」から、可能性としてありえた「最悪の状態」へ降下させ、そこから事件を見つめなおすわけです。「高望みしすぎるな」を実践した言葉とも言えます。
 人は失ったものに敏感で、得たものには鈍感です。悪い出来事に感じやすく良い出来事に感じにくいところがあります。少しぐらい基準を降下させたほうが公平かもしれません。明石家さんま曰く「生きてるだけで丸儲け」。こういう気持ちを持っていればどんな困難も他愛のないことに思えてきます。

2008年9月26日 (金)

適当にやろうぜ

 本来、マジメ性の私はときどき自分のマジメさで自分の首を絞めてしまっていることがあります。完全にしなくてよいところを細部にこだわり、時間を費やしたり、急がなくてよいところを慌てて焦ってみたり。余分な仕事を嬉々として引き受けて、ため息がをついていたり。
 そんなときはこんな言葉が肩の力のを抜いてくれます。

「適当にやろうぜ」

 まあそんなにカリカリせずにのんびりやろう。完全に仕上げなくても70点の出来でよしとしよう。という具合です。これを目標緩和変更といいます。高く持っている目標を下げてみようというわけです。そもそも目標が異常に高い場合は目標修正変更となります。

 本来、マジメ性の私ですが、高校時代は愉快な友人たちのおかげ(?)で「適当にやろうぜ」を連発していました。授業はさぼり、喫茶店で喫煙しながらマンガ。あるいは雀荘でマージャンに明け暮れる・・・
 こういうときは「きちんとやろうぜ」という逆の目標修正変更が必要でしたね、今、思うと・・・。
 後悔先に立たず、要はバランス感覚です。

2008年9月11日 (木)

別にいいじゃん(または ええやん)

 「別に」で大人気となったのは沢尻エリカ様ですが、今回紹介するのは「別にいいじゃん」です。関西弁では「別にええやん」となります。

 人というのは真剣になればなるほど、視野が狭くなってしまうもので、単なるゲーム遊びでも負けたの勝ったの大騒ぎする輩もおります。ましてや人生の命運をかけたような勝負や試合、試験、舞台に挑むときには緊張で心臓が高鳴り、冷や汗をかき、失敗したらどうしようと頭から血の気が引いてしまうようなこともあるでしょう。こういうときは視野が極端に狭まり失敗したら人生が終わってしまうかのような気持ちになってしまっている。

「別にいいじゃん(または 別にええやん)」

 どんなに大事な勝負と思っていても、ほとんどの場合負けて死ぬことはありません。死ぬどころか挽回できないほどの窮地に陥ることもめったにありません。失敗しても、悔し涙を流すか、酒を飲んで憂さを晴らすか、大恥を耐えて忍べば、元の立ち位置に戻ってこれます。
 受験にことごとく失敗しても、翌年それより高い志望校に合格して偉くなった人もいますし、大失恋をしたあと、ずっとすばらしい相手にめぐり合って幸福を手にした人もいます。何度となく総裁選を大負けしたのに最後に総裁になる人もいる。まあこれは仮定の話ですが。 
 他人事でなく、自分自身の経験としても、あのとき失敗したからこそ、その後でうまくいったという思い出は何かあるでしょう。そのことに気づけば、大きな勝負事の前でも恐れおののくことはありません。
 「別にいいじゃん」は「譲歩的受容変考」と言われるもので、「それがどうした」ほど失敗を無意味化していませんし、「これでいいのだ」ほど現状を肯定はしてはいません。「結果は最高ではないが最悪でもないわけで、そうなら受け入れていこう」と譲歩しながら受容していくわけです。
 現実的な対応ですね。この変考がうまい人は、結果的に勝負事にも強く、失敗しても尾を引かずに幸福になっていくのではと思います。
 そうですよね、麻生新総裁。

2008年9月 3日 (水)

高望みしすぎるな

 ある結婚相談所の話です。
 相談に訪れるとまず一番に「あなたは異性から見て自分が何点だと思いますか」と聞かれる。ほとんどの人は、60点とか50点とか、60点以下の点数を答えるらしいです。もしここで80点とか90点とか答えようものなら「そんな人はここに来る前に自分で見つけていますよ」ときっぱり言われる。
 まず出鼻で自分が60点以下の人間であることを認識させられるわけです。そして「自分が60点の人間なら、80点や90点の相手は無理ですよ。60点の相手を探さないと」と釘を刺される。そして紹介者の資料を見せられるわけです。60点以下の人間を集めた資料を。よく考えられた戦略ですね。
 本来、人は高望みするものでしょう。それが向上心であり、自分を成長させていく原動力でもあります。「夢を諦めるな」なんていうメッセージも、TVやメディアから繰り返されることもさらに拍車をかけます。
 しかしどこかで現実を見つめて折り合わないと不幸です。

「高望みしすぎるな」

 現実を見つめて高すぎる目標を下げさせる変考です。「目標降下変考」といいます。思い切ってハードルを下げてみると自分がいかに幸福かに気づくでしょう。まずはパソコンを見て遊べるぐらいに健康であるし、パソコンを購入できるぐらいの金銭的余裕もあるわけです。食べるものにもとりあえず困っていない。何より命がある。生きているだけで万々歳
じゃありませんか。

2008年9月 1日 (月)

見返してやる

 比較的温厚でそれほど短気ではないのですが、仕事上で上司と意見対立し、歯向かったことがあります。私が新しい方法を提案したのに「そんなことやったってうまくいくはずがない」と言われて、逆切れして反対を押し切ってやりました。

「見返してやる」

 「絶対失敗する」なんて言われると何としてでも成功させて見返してやろうと思うんですね。これを「特定人物想起変考(対立形)」と言います。同じ「特定人物想起変考」でも親愛形の「大切なあなたのために」とはまったく逆で、対立する特定人物を思い浮かべることで頑張る動機付けにしていくものです。
 私の場合は結局うまくいきませんでしたが、その一年ほどの間の集中力は自分で言うのもなんですが、かなりのものでした。今でもベストは尽くしたという満足感はあります。逆に上司が応援してくれていれば、あそこまではしなかったでしょう。
 対立する意見があるということ、対立する人物が居るということも、いい方向に導いてくれることもあります。

2008年8月29日 (金)

自分は自分、他人は他人

 高校と予備校時代の友人にKというのがいました。ほぼ同じような成績でよく一緒に遊んでいました。私は一浪で地元の大学に合格しましたが、Kは医学部志望で二浪して志望大学に合格しました。
 昨年あった高校の同窓会で久しぶりに再会しましたが、Kは名の知れた病院の脳神経外科の医長になっており、年収は2000万ぐらいと言っていました。私は、あまり大きいとは言えない会社の一社員で、高給取りでもないですから少し複雑な気持ちになりました。

「自分は自分、他人は他人」

 どうしても他人と境遇を比べて羨んだり、安心したりするものですが、他人とは持って生まれた能力や環境が違うのですから比べても意味がないというわけです。これは「それがどうした」と同じ無意味化変考の一つで「比較無意味化変考」といいます。
 「あいつよりはまし」の「比較優越変考」とは全く反対の変考ですが、ポジティブ変考には論理的な矛盾があっても、TPOが違えば有効です。
 Kは「一週間に2-3回は深夜に呼び出しがあって徹夜が続くこともザラ」とぼやいていました。
 「俺の方がマシだ」

2008年8月26日 (火)

大切なあなたのために

 結婚して10年近くなります。子供2人に恵まれ、平凡ですが穏やかで楽しい毎日を暮らしています。結婚して変わったなあと思うのは、多くの凡人と同様に、やはり真面目・マトモになったことでしょうか。
 独身時代は、かなりいい加減で不真面目なところもありましたが、そういうところはなくなりましたねえ。タバコもやめましたし、夜遊びもほとんどしません。妻や子供に対してみっともないことはできないという気持ちがあるからでしょう。

「大切なあなたのために」

 自分にとって大切な誰かを思って頑張る動機にすることを特定人物想起変考(親愛形)と言います。特定人物は、両親の場合もあるでしょうし、配偶者の場合もあるでしょうし、子供の場合もあります。恋人や親友、あるいは恩師、先輩などの場合もあるでしょう。
 またしてもオリンピックの話ですが、四百メートルリレーの朝原以外の3選手は「朝原さんにメダルを取らせてあげたい」という気持ちで走ったそうです。朝原選手の人柄がしのばれますね。
 バトンを落として台無しにしなくてよかったですね。朝原さん。

2008年8月24日 (日)

今に見ていろ、俺もいつか

 星野ジャパンが負けましたね。それも接戦ではなく大差で。「金メダルしかいらない」とか言っといて銅メダルも大差で取れないとは、期待外れを超えて「衝撃」ですね。
 故障者が多かったとか、選手起用がまずかったとか言われていますし、ご自身は「ゾーンが不思議」とか言っておられますが、冷静に見るなら「世界との力の差」でしょう。
 サラリーマンでは考えられない高給をもらっている選手たちが世界レベルでは歯が立たないことには怒りすら感じてしまいます。決して高給取りではないはずの女子ソフトボールチームが金メダルを取ったのと好対照です。
 そう言えば、サッカーも高給取りの男子は惨敗で、高給取りでない女子は4位でした。恵まれた環境の高給取りにはもはや戦うモチベーションがないのではないでしょうか?

「今に見ていろ、俺もいつか」

 この言葉はハングリー精神を端的に示すポジティブ変考の言葉であります。食べていくのが精一杯の生活に居て、高級車に乗ったセレブを目で追いながらそう胸に誓うのです。
 これは、いつか明るい未来がくると信じる「成功想起変考」の一つで前回の「やってやるぜ」とよく似ています。しかも「今に見ていろ」というところは「闘争形」でもあります。
 大きな違いは、現在の苦境を闘争心のよりどころにしているところです。そういう意味で「今のつらさは明日への糧」のような将来転化変考の要素もありますね。
 星野ジャパンにはまったくそういうムードがありませんでした。これまでの日本の生活が幸福すぎるのです。金もあるし名誉もあるし女性にもモテモテ・・・これでは必死に頑張ろうという気は起こりませんよね。
 今回の惨敗をばねにして、次のオリンピックに挑んでほしいですね。
 次のオリンピックはないんでしたっけ?

«やってやるぜ

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